キース・キャンベル (レーサー)
キース・キャンベル | |
---|---|
画像募集 | |
グランプリでの経歴 | |
国籍 | オーストラリア |
活動期間 | 1950 - 1958 |
チーム | ノートン、モト・グッツィ |
レース数 | 11 |
チャンピオン | 350cc - 1957 |
優勝回数 | 3 |
表彰台回数 | 8 |
通算獲得ポイント | 53 |
ファステストラップ回数 | 2 |
初グランプリ | 1950 250cc アルスター |
初勝利 | 1957 350cc ダッチTT |
最終勝利 | 1957 350cc アルスター |
最終グランプリ | 1958 350cc ベルギー |
テンプレートを表示 |
キース・ロナルド・キャンベル(Keith Ronald Campbell 、1931年6月1日 - 1958年7月13日)はオーストラリア出身のオートバイレーサーである。ロードレース世界選手権で世界チャンピオンとなったライダーである。
略歴
メルボルン郊外のプラーンで育ったキャンベルは、幼い頃からオートバイのチャンピオンになるという目標を持っていた。やがてモト・グッツィのファクトリーチームの一員としてロードレース世界選手権に出場すると、1957年の350ccクラスチャンピオンに輝いた[1]。これはオーストラリア人として初めてのタイトル獲得でもあった。この年のシーズン終了後にはイギリス人チャンピオンのジェフ・デュークの義姉であるジェラルディーンと結婚した。
1958年7月、キャンベルはフランスのトゥールーズ近くにあるカドゥール・サーキットで行われたレースに出場した。350ccクラスに勝利して次に500ccクラスのレースに出たキャンベルはコースレコードに迫る速さで後続を引き離していた1周目、コックス・コーナーと呼ばれる高速カーブを曲がり切れずにコースアウトしてクラッシュ、死亡した[2]。死因は頭蓋骨骨折と言われ、ほぼ即死の状態だった。
ロードレース世界選手権での戦績
順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|
ポイント | 8 | 6 | 4 | 3 | 2 | 1 |
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
年 | クラス | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | ポイント | 順位 | 勝利数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1950 | 250cc | エクセルシオール | IOM - | SUI - | ULS 6 | ITA - | 1 | 17位 | 0 | |||||
1954 | 500cc | ノートン | FRA - | IOM - | ULS - | BEL 5 | NED - | GER - | SUI - | ITA - | SPA - | 2 | 19位 | 0 |
1955 | 350cc | ノートン | FRA - | IOM - | GER - | BEL 3 | NED - | ULS - | ITA - | 4 | 11位 | 0 | ||
1957 | 350cc | モト・グッツィ | GER - | IOM 2 | NED 1 | BEL 1 | ULS 1 | ITA - | 30 | 1位 | 3 | |||
500cc | モト・グッツィ | GER - | IOM 5 | NED - | BEL - | ULS - | ITA - | 2 | 15位 | 0 | ||||
1958 | 350cc | ノートン | IOM 7 | NED 3 | BEL 3 | GER - | SWE - | ULS - | ITA - | 8 | 7位 | 0 | ||
500cc | ノートン | IOM NC | NED - | BEL 2 | GER - | SWE - | ULS - | ITA - | 6 | 9位 | 0 |
脚注
| |
---|---|
1940年代 |
|
1950年代 |
|
1960年代 |
|
1970年代 |
|
1980年代 |
- 表示
- 編集