ハリー・ギャラティン
故人 | |
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ポジション | PF |
基本情報 | |
愛称 | The Horse |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1927年4月26日 |
没年月日 | (2015-10-07) 2015年10月7日(88歳没) |
出身地 | イリノイ州ロクサーナ |
身長(現役時) | 198cm (6 ft 6 in) |
体重(現役時) | 95kg (209 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | トルーマン州立大学 |
選手経歴 | |
1948-1957 1957-1958 | ニューヨーク・ニックス デトロイト・ピストンズ |
指導者経歴 | |
1962-1964 1965-1966 | セントルイス・ホークス ニューヨーク・ニックス |
受賞歴 | |
選手時代 コーチ時代
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Stats Basketball-Reference.com | |
Stats NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten |
ハリー・ジュニア・ギャラティン (Harry Junior Gallatin, 1927年4月26日 - 2015年10月7日) は、アメリカ合衆国イリノイ州ロクサーナ出身の元バスケットボール選手。出身大学はトルーマン州立大学。1950年代、NBAのニューヨーク・ニックスで活躍し、1991年には殿堂入りを果たした。引退後は指導者に転向し、初代最優秀コーチ賞に選ばれている。
選手キャリア
ロクサーナ高校卒業後、第二次世界大戦終結まで兵役に就いていたギャラティンは、除隊後トルーマン州立大学に進学し、2年間のプレイで平均13.2得点、フィールドゴール成功率70.3%という成績を残した。1948年のBAAドラフトでニューヨーク・ニックスから指名を受け、BAA(NBAの前身)入りを果たす。
ギャラティンは1年目から即戦力として活躍し、2年目の1949-50シーズンには早くもオールスターに選ばれた。翌1950-51シーズンには12.8得点12.1リバウンド(リーグ3位)、FG成功率41.6%(リーグ5位)を記録するリーグを代表するセンターに成長する。このシーズンにはエースのカール・ブラウンがチームを去ってしまうが、新たにスコアラーのマックス・ザスロフスキーが加入し、フォワードのヴィンス・ボリーラ、司令塔のディック・マグワイア、ザフロスキー、そしてギャラディンを中心としたニックスはプレーオフを勝ち抜いてファイナルに進出。ロチェスター・ロイヤルズと激戦を繰り広げるが、3勝4敗の末に惜しくも敗れた。ニックスはこのシーズンを皮切りに3年連続ファイナルに進出するチーム最初の黄金期を迎えるが、しかしミネアポリス・レイカーズの全盛期と重なってしまい、続く2年のファイナルは共にレイカーズの前に敗退し、優勝の夢は叶わなかった。
NBA6シーズン目を迎えた1953-54シーズンにギャラティンは全盛期を迎え、13.2得点15.3リバウンドの成績を記録し、初のリバウンド王とオールNBA1stチームに選ばれた。チームもカール・ブラウンがニックスに復帰し、リーグ2位タイの44勝を記録するが、プレーオフではこのシーズンのみに導入されたプレーオフ出場チームによるリーグ戦で4戦全敗を喫してしまい、4年連続ファイナル進出はならなかった。以後もギャラティンは毎年ダブル・ダブルのアベレージを叩き出すリーグ有数のセンターとして活躍するが、チームは優勝が叶わぬまま衰退期を迎えてしまい、ギャラティンは1956-57シーズンを最後に9シーズン過ごしたニックスを去ることになった。
デトロイト・ピストンズで新シーズンを迎えたギャラティンは新天地でも14.9得点10.4リバウンドの好成績を維持していたが、30歳を迎えたこのシーズンを最後に、現役から引退した。
BAA/NBA通算成績は682試合の出場で8843得点6684リバウンド、平均13.0得点11.9リバウンドだった(リバウンド数は1950-51シーズンからの計測)。
プレースタイルと業績
ギャラティンは身長198cmと1950年代当時としてもセンターとしては小柄な部類に入ったが、毎晩のようにハードワークをこなし、個人の記録よりもチームの勝利を優先するチームプレイヤーだった。その並外れた体力からチームメイトからは"Horse"の愛称で親しまれ、また非常に頑丈な選手で、NBA(BAA)公式戦初出場以来一度も欠場はなく、当時のNBA記録である682試合連続出場記録を樹立した。
コーチキャリア
ギャラティンは1962-63シーズンからセントルイス・ホークスで指揮を執り、前季29勝に終わった同チームを48勝に導き、このシーズンから新設された最優秀コーチ賞に選ばれた。彼が率いる間のホークスは勝率5割を下回ったことがなかったが、3シーズン目を迎えた1964-65シーズン途中に古巣ニューヨーク・ニックスに引き抜かれ、残りのシーズンと続く1965-66シーズンをニックスで指揮を執ったが、こちらでは成績が振るわず、シーズン途中で解任となった。
2015年10月7日、イリノイ州エドワーズビルで死去した[1]。
個人成績
* | リーグ1位 |
太字 | キャリアハイ |
レギュラーシーズン
Season | Team | GP | MPG | FG% | FT% | RPG | APG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1948–49 | NYK | 52 | – | .328 | .710 | – | 1.2 | 8.3 |
1949–50 | 68 | – | .396 | .757 | – | 0.8 | 11.8 | |
1950–51 | 66 | – | .416 | .732 | 12.1 | 2.7 | 12.8 | |
1951–52 | 66 | 29.3 | .442 | .806 | 10.0 | 3.4 | 11.2 | |
1952–53 | 70 | 33.3 | .444 | .700 | 13.1 | 1.8 | 12.4 | |
1953–54 | 72 | 37.4 | .404 | .784 | 15.3* | 2.1 | 13.2 | |
1954–55 | 72 | 35.4 | .384 | .814 | 13.8 | 2.4 | 14.6 | |
1955–56 | 72 | 33.0 | .386 | .787 | 10.3 | 2.3 | 13.9 | |
1956–57 | 72 | 27.0 | .406 | .800 | 10.1 | 1.2 | 15.0 | |
1957–58 | DET | 72 | 27.6 | .379 | .787 | 10.4 | 1.2 | 14.9 |
Career | 682 | 31.9 | .398 | .773 | 11.9 | 1.8 | 13.0 | |
All-Star | 7 | 26.5 | .463 | .704 | 9.3 | 2.3 | 8.1 |
プレーオフ
Year | Team | GP | MPG | FG% | FT% | RPG | APG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1949 | NYK | 6 | – | .357 | .821 | – | 1.7 | 12.0 |
1950 | 5 | – | .385 | .781 | – | 1.2 | 13.0 | |
1951 | 14 | – | .350 | .770 | 11.6 | 1.9 | 11.8 | |
1952 | 14 | 33.6 | .410 | .773 | 9.6 | 1.4 | 10.8 | |
1953 | 11 | 27.5 | .419 | .746 | 10.9 | 1.4 | 10.5 | |
1954 | 4 | 37.8 | .457 | .710 | 15.3* | 1.5 | 13.5 | |
1955 | 3 | 36.0 | .452 | .773 | 14.7 | 2.3 | 18.3 | |
1958 | DET | 7 | 26.0 | .368 | .703 | 10.0 | 1.6 | 12.9 |
Career | 64 | 31.2 | .390 | .761 | 11.2 | 1.6 | 12.0 |
コーチ戦績
NBA
Team | Season | Regular season | Playoffs | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
G | W | L | W-L% | G | W | L | W-L% | Results | ||
STL | 1962–63 | 80 | 48 | 32 | .600 | 11 | 6 | 5 | .545 | ディビジョン決勝敗退 |
1963–64 | 80 | 46 | 34 | .575 | 12 | 6 | 6 | .500 | ディビジョン決勝敗退 | |
1964–65 | 33 | 17 | 16 | .515 | – | – | – | – | – | |
NYK | 1964–65 | 42 | 19 | 23 | .452 | – | – | – | – | – |
1965–66 | 21 | 6 | 15 | .286 | – | – | – | – | – | |
Career | 256 | 136 | 120 | .531 | 23 | 12 | 11 | .522 |
脚注
- ^ “【NBA】オールスター7度選出、殿堂入りH.ギャラティン氏が死去”. Yahoo.co.jp (2015年10月7日). 2015年10月8日閲覧。
外部リンク
- BasketballReference.com (as coach)
- BasketballReference.com (as player)
- バスケットボール殿堂
NBAリバウンド王/通算リバウンド数 | |
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1950年代 |
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1960年代 |
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1970年代 |
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1980年代 |
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1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 |
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2020年代 |
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歴代ベスト10 |
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プレーオフ 歴代ベスト10 |
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1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 |
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2010年代 |
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2020年代 |
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アトランタ・ホークス 歴代ヘッドコーチ | |
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トライシティーズ・ブラックホークス(1946-1951)なし 1946-1949 -- ロジャー・ポッター (Roger Potter)1949-50 -- レッド・アワーバック (Red Auerbach)1949-50 -- デイブ・マクミラン (Dave McMillan)1950-51 -- ミルウォーキー・ホークス(1951-1955) -- ジョニー・ローガン (Johnny Logan (basketball)1950-51 -- マイク・トドロヴィッチ (Mike Todorovich)1950-51 -- ドキシー・ムーア (Doxie Moore)1951-52 -- アンドリュー・リヴェイン (Andrew Levane)1952-54 -- セントルイス・ホークス(1955-1968) -- レッド・ホルツマン (Red Holzman)1953-54/1956-57 -- スレーター・マーティン (Slater Martin)1956-57 -- アレックス・ハナム (Alex Hannum)1956-57/1957-58 -- アンディ・フィリップ (Andy Phillip)1958-59 -- エド・マコーレー (Ed Macauley)1958-60 -- ポール・シーモア (Paul Seymour)1959-62 -- アンドリュー・リヴェイン (Andrew Levane)1961-62 -- ボブ・ペティット (Bob Pettit)1961-62 -- ハリー・ギャラティン (Harry Gallatin)1962-65 -- アトランタ・ホークス -- リッチー・ゲーリン (Richie Guerin)1964-65/1971-72 -- コットン・フィッツシモンズ (Cotton Fitzsimmons)1972-76 -- ジーン・トーモーレン (Gene Tormohlen)1975-76 -- ヒュービー・ブラウン (Hubie Brown)1976-81 -- マイク・フラテロ (Mike Fratello)1980-81 -- ブレンダン・サー (Brendan Suhr)1980-81 -- ケビン・ローアリー (Kevin Loughery)1981-83 -- マイク・フラテロ (Mike Fratello)1983-84/1989-90 -- ボブ・ワイス (Bob Weiss)1990-93 -- レニー・ウィルケンズ (Lenny Wilkins)1993-2000 -- ロン・クルーガー (Lon Kruger)2000-03 -- テリー・ストッツ (Terry Stotts)2002-04 -- マイク・ウッドソン (Mike Woodson)2004-10 -- ラリー・ドリュー (Larry Drew)2010-13 -- マイク・ビューデンホルツァー (Mike Budenholzer)2013-18 -- ロイド・ピアース(Lloyd Pierce)2018–2021 -- ネイト・マクミラン(Nate McMillan)2021–2023 -- クイン・スナイダー(Quin Snyder)2023– |
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