マズヤド朝
この項目では、10~12世紀のイラクに存在したイスラム王朝について説明しています。カフカスに存在したイスラム王朝については「シルバン・シャー朝」をご覧ください。 |
マズヤド朝(マズヤドちょう)は、ヒッラを首都としたアラブ系シーア派イスラム王朝。王家は北アラブ系のアサド族に属する。ドゥバイス1世、同2世が中心となったのでドゥバイス朝とも呼ばれる。バサーシーリーの乱やアッバース朝のムスタルシドの対セルジューク朝戦争などにも関わった。イラク中央部に勢力を持ち、十字軍のラテン語資料では「アラブの王」と呼ばれるほどの強勢であったが、12世紀半ばにアッバース朝の攻撃を受け、ヒッラを逐われて王朝の中央イラク支配は途絶えた。
マズヤド朝の君主
- アリー1世・イブン・マズヤド・アル=ナーシリー、サナーッダウラ(961年 - 1017年)
- ドゥバイス1世・イブン・アリー、ヌールッダウラ(1017年 - 1082年)
- マンスール・イブン・ドゥバイス(1082年 - 1086年)
- スィドカ1世・イブン・マンスール、アブル=ハサン・サイフッダウラ・ファクルッディーン(1086年 - 1108年)
- ドゥバイス2世・イブン・スィドカ、ヌールッダウラ(1108年 - 1135年)
- ムハンマド・イブン・ドゥバイス(1135年 - 1138年)
- アリー2世・イブン・ドゥバイス(1145年 - 1150年?)
- ムハルヒル・イブン・アリー(1150年? - 1163年)
参考文献
- Clifford Edmund Bosworth,The New Islamic Dynasties,1996
- 表示
- 編集
この項目は、イスラームに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル イスラーム/PJ イスラーム)。 |
- 表示
- 編集