南宇和郡
人口17,783人、面積238.94km²、人口密度74.4人/km²。(2024年8月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 愛南町(あいなんちょう)
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の愛南町にあたる。 2022年(令和4年)現在、四国地方の郡で、発足以来一度も郡域の変更が行われたことがないのは、香川県小豆郡と当郡の2つのみである。
歴史
郡発足までの沿革
- 柏村、菊川村、内海浦、長洲村、平城村、和口村、長月村、城辺村、緑村、僧都村、広見村、増田村、正木村、小山村、中川村、満倉村、外海浦、鵜来島、母島浦[1]、久保浦[1]、小矢野浦[1]
- 明治4年
- 明治5年6月23日(1872年7月28日) - 神山県の管轄となる。
- 明治6年(1873年)2月20日 - 愛媛県の管轄となる。
- 明治9年(1876年)2月25日 - 母島浦・久保浦・小矢野浦・鵜来島の所属郡が土佐国幡多郡に変更。(15村2浦)
郡発足以降の沿革
- 明治11年(1878年)12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、宇和郡のうち城辺村ほか15村2浦の区域に南宇和郡が発足。郡役所が城辺村に設置。
- 明治14年(1881年)
- 「南宇和北宇和郡役所」が北宇和郡宇和島町に設置され、同郡とともに管轄。
- 外海浦が分割して東外海浦・西外海浦となる。(15村3浦)
- 明治22年(1889年)12月15日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足[2]。全域が現・愛南町。(7村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。郡役所が御荘村に設置。
- 大正12年(1923年)
- 2月11日 - 御荘村が町制施行して御荘町、城辺村が町制施行して城辺町となる。(2町5村)
- 4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。内務省告示第82号により宇和支庁が設置され、北宇和郡とともに管轄。
- 昭和23年(1948年)11月3日 - 内海村の一部(坊城成川・中浦・猿鳴・高畑・赤水および平山のうち字大島)が分立して南内海村が発足、一部(深泥および字大島を除く平山)が御荘町に編入。(2町6村)
- 昭和27年(1952年)
- 昭和31年(1956年)
- 昭和37年(1962年)1月1日 - 一本松村が町制施行して一本松町となる。(4町1村)
- 平成16年(2004年)10月1日 - 内海村・御荘町・城辺町・一本松町・西海町が合併して愛南町が発足。(1町)
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b c 記載は沖ノ島。
- ^ 読み方は「旧高旧領取調帳データベース」を参照。
参考文献
関連項目
先代 宇和郡 | 行政区の変遷 1878年 - | 次代 (現存) |
愛媛県の郡 | |
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*印は消滅。 Category:愛媛県の郡・Category:愛媛県の郡 (消滅) |