1930年のル・マン24時間レース
1930年のル・マン24時間レース | |||
前年: | 1929 | 翌年: | 1931 |
1930年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1930 )は、8回目[1]のル・マン24時間レースであり、1930年6月21日から6月22日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。
概要
出走したのは17台[1][2]または18台[3][注釈 1]と史上最小台数になってしまった[2]が、メルセデス・ベンツ、タルボ、ブガッティは健在であった。
MGが847ccとこの年の出場車両中最小排気量車Mタイプミジェットで初出場したが、28号車はピストン損傷またはトランスミッションシャフトトラブルにより82周目にリタイヤ、29号車は発電系統やオイルパイプの漏れにより5時間目28周でリタイヤした[2]。
ベントレーはワークスのスピード6が3台の他にミス・パジェのチームからブロワーの8号車9号車が出場した。ブロワーは9号車が4周目に平均速度144.352km/h、ラップタイムわずか6分48秒という記録を打ち立てたが2台ともリタイヤとなった。
完走したのは9台[1][3]。
ウルフ・バーナート(Woolf Barnato )/グレン・キドストン(Glen Kidston )組のベントレー・スピード6[1]の4号車がルドルフ・カラツィオラが乗るメルセデス・ベンツとの10時間に及ぶ死闘の末24時間で2,930.663km[1][2][3]を平均速度122.111km/h[1][2]で走って優勝した[1][2]。ウルフ・バーナートは3度のみの出場で3度とも優勝という快挙であった。ベントレーはこの後ワークス出場しなくなるとともに勝利から遠ざかり、次の総合優勝は73年後、2003年のル・マン24時間レースとなった。
第2位はフランク・クレメント(Frank Clement )/リチャード・ワトニー(Richard Watney )組、ベントレー・スピード6の2号車。
順位 | クラス | 号車 | チーム | ドライバー | シャシ | エンジン | 周回数 |
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1 | 8.0 | 4 | ベントレー |
| ベントレー・スピード6 "Old Number One" | ベントレー 6.6リットル直列6気筒 | 179 |
2 | 8.0 | 2 | ベントレー |
| ベントレー・スピード6 | ベントレー 6.6リットル直列6気筒 | 173 |
3 | 3.0 | 15 |
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| タルボ AO90 | タルボ 2.3リットル直列4気筒 | 162 |
4 | 3.0 | 16 |
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| タルボ AO90 | タルボ 2.3リットル直列4気筒 | 160 |
5 | 2.0 | 23 | ハウ卿 |
| アルファロメオ・6C 1750GS | アルファロメオ 1.8リットル直列6気筒スーパーチャージャー | 159 |
6 | 1.5 | 24 | リー・フランシス |
| リー・フランシス ハイパーSタイプ | メドーズ1.5リットル直列4気筒スーパーチャージャー | 140 |
7 | 1.5 | 25 | Mme. Marguerite Mareuse |
| ブガッティ・タイプ40 | ブガッティ 1.5リットル直列4気筒 | 132 |
8 | 1.1 | 27 | トラクタ |
| トラクタ A28 | S.C.A.P. 1.0リットル直列4気筒 | 128 |
9 | 1.1 | 26 | トラクタ |
| トラクタ A28 | S.C.A.P. 1.0リットル直列4気筒 | 123 |
注釈
- ^ :en:によればDNSが1台あり、この扱いの差か。
出典
- ^ a b c d e f g 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
- ^ a b c d e f 『ル・マンの英国車』pp.18-19「1930」。
- ^ a b c 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。
参考文献
- 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2
- ドミニク・パスカル著、日沖宗弘訳『ル・マンの英国車』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-068-8
- 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社 ISBN 4-08-780158-6
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